振り子の手順は必ずしもペンデュラムに頼らなくてもいい問題


MRIペンデュラム」が発売されてから、もうすぐ1年が経つ。

今一度、ペンデュラム(以降、振り子の手順)の良さを伝えるならば、次の4点に集約されると思う。

・セットアップ不要
・観客の手の中で現象が起きる

・ポケットにも入る(笑)
・クロースアップでもサロンでもできる

加えて、手順はだいたい決まりきってるし、原理もほぼ同じだから、あとは見せ方のバリエーションを選ぶだけだ。

多くの場合、①最初に振り子がひとりでに動く姿を見せ、②次にその反応が正しく機能しているか、意味をなしているかどうかを確認、③最後にその反応だけを頼りに(観客も演者もわからないという前提で)隠されたものを探し当てて終了。

このうち、最初の2つは大概デモンストレーションとして扱われるが、これら3つの手順はどれか1つが独立していることもあれば、若干見せ方にアレンジが加わることもある。でも、大概はこれに則してるはずだ。

第①段階なら、複数人いる観客から被験者候補をあぶり出したり、演者自身が挑戦してみたり、あるいは下の動画のように振り子の反応が別の現象に関連しているように見せたりといったものが当てはまる。

Dr. Bill’s Bend by Dr. Bill | Penguin Magic

第②段階なら、カードを1枚覚えさせ、たくさんある表向きになったカードの中から振り子の反応を頼りにあぶり出してみたり。ここで仮に反応がどっちつかずだったとしても、全ての判断は振り子の反応を伺う演者に委ねられている(笑)

そして第③段階に入れば、皆一様に裏向きのカード(あるモノを隠した場所)を振り子の反応だけを頼りに観客が当てて終わりとなる。

別にこれが悪いと言っているわけではないが、カードやら何やらに触れていると、どうしても何か別のバリエーションが築きたくなってくる。

上記のキーベンドと組み合わせた動画を見ていて、ふと思ったのは「振り子は常に先端に水晶なんかをぶら下げたダウジング用のものじゃなくてもいい」ということだ。

そこで考えたのが「ロケットペンダント」

ロケットなら、中に写真や紙片を入れれば、それが理由づけになり、後付けであり、現象にオチをつけられる。

調べてみたところ、ロケットペンダントが使われた振り子の手順は過去に1つしかないようだ。(てか、あんのかよ…)

それがトニー・コリンダ著「13 Steps to Mentalism」の187ページにある「The Crystal Locket by Dr. Jaks」だ。

これは女性の名前等を書いた紙切れを裏向きにして混ぜ、演者or/and観客がそれを探し出すというもの。

お気づきの通り、これは小さな紙片を作る過程で特定の紙切れだけを他とは違う切り方をすることで演者にしかわからない見分けをつけている。

これ以外にも欠けたピースを探すとか、リビング&デッド(生者と死者のテスト)とか、演出次第でいくらでも変わりそうだ。

特に振り子の先端に何かしらの意思があるという理由づけは見ていてより錯覚を引き起こしそうになる。

もちろん、何かしらのペンダントを使うというアイデアはもっと以前からあったと思うが、あくまで個人の嗜好によりけりで、そこで止まっていたのだろう。

観念運動の曖昧な定義

なぜ振り子は動くのか?

この場合のよくある(正しいとされている)説明は、観念運動だから。これに尽きる。

もはや「観念運動=振り子」「振り子=観念運動」というイメージが結びついてしまっているようにも思える。ところが、多くの人は観念運動が何かは知らない。巷でよくいわれる説明はこうだ。

『観念運動とは、ある行動を見たり、イメージしたりするだけで行動表象が活性化し、その行動をとりやすくなること』ウェブサイト「科学事典」より

なんともまあ、漠然とした定義か。全く入ってこない(笑)

この定義が正しいと思う根拠は何なのか?と逆に聞きたくなる。

はて、これはミラーニューロンのことなのか、モデリングのことか、それとも全く別の何かについて言及しているのか一切わからない。

それもそのはず、実は、この定義は100年以上前のものをまんま引用した過去の遺物にすぎない。

では、なぜそんな古いものがいまだに使われているのか、加えて観念運動とは実際のところ何を指しているのか、それについて簡単に歴史を紐解いてみよう。

観念運動の歴史

1874年、生理学者のウィリアム・カーペンターは観念運動を歩行や発話といった自動的な行為全てを指して使っていた。(現在でいう「観念運動失行」に通じる考え方ともいえる)

彼は「観念(idea)」と「運動(motor)」の関係から、これを「観念運動(ideomotor)」と命名、定義した。

ウィジャボード(海外版こっくりさん)や舞踏病も、その人の観念のみで動きが表に現れるという意味で「観念運動」という言葉が使われていたのだ。

そして、観念運動の存在を有名にしたのが1890年にウィリアム・ジェームズが書いた「心理学原理」だ。その中でジェームズは「他者の行為を見ることで観察者は自身の動作に影響を与える」と再定義した。

ここでは、あくまでイメージが動作に影響を与えるではなく、目で見た他者の動きに限定されている。

どこでイメージ云々が入りこんだのかはわからないが、観念が身体に影響を与えるという考え方そのものは疑似科学好きの間で度々もてはやされ、1990年代に入るまで科学的に検証されることはなかった。

このような歴史的背景を踏まえ、2001年に観念運動という現象のメカニズムを次の2つに集約し、実験が行われた

1. 人間は見た動きに影響されて動作に影響を与えるという考え方。
2. 今見ている何かに対して、観察者が見たいと思う方向へ身体に影響を与えるという考え方。

結果はどちらの仮説も立証するには課題が残される余りあるものだったが、後者の仮説には目を見張るものがある。

なぜなら、これは普段の生活でも皆経験していると思うからだ。

例えば、ボーリング場でボールを投げた際、あともう少しでスペアが取れそうなとき、自然と身体が曲がってほしい方向に傾いてしまうことがある。それでボールが右に曲がるとは思えないが、気持ちの問題でどうしても…と。

また、レーシングゲームでも急カーブに差し掛かった際、(初心者の多くは)コントローラーを曲がりたい方向についつい曲げてしまうのと同じなのではないかと。

そんな風に個人的には後者の仮説も支持したいところが、残念ながら観念運動に関する生理学的メカニズムは、2015年時点ではいまだ全容解明には至っていない

ただし、これらの情報を踏まえると、そもそも観念運動という言葉は「観客が頭の中でイメージした動きが振り子に表れる」という現象を指した言葉ではないのかもしれない。

振り子でYes/Noを引き出す「観念運動応答法」も個人の力では習得に時間を要するといわれる。けれど、他者(演者)が介入した状況になると、なぜ事をスムーズに運べるようになるのか?

上記の動画にあるような指で振り子の動きをなぞる方法があるのとないのとでは、どちらが振り子の揺れに影響を与えているのだろうか?

(どの実験も不随意の運動を生起させ、外部の力によって振り子が勝手に動いたという錯覚を引き起こすまでで終わっている説明がつく)

詰まる所、マジックでいわれる振り子の手順は従来の「振り子=観念運動」だけでは説明できない、また別の要素(=演者の存在)があると考えた方が利口なのかもしれない。