「良いマジック」というと、あなたはまず何を想像するだろう。カップアンドボール?アンビシャスカード?おそらく、あなたの頭の中にある答えは、マジシャンとして使えるという意味での「良いマジック」だと思う。
ところが、マジックショップ側からすると、「良いマジック」とは、海外で既に高い評価を受けた「売れやすい商品」という意味にすり替えられる。(これは個人的にこれからマジック本を翻訳してやろうと考える野心ある愛好家にとっても同じだと思う)
であるにもかかわらず、なぜか多くのショップでは、海外のトリック・オブ・ザ・イヤーについてあまり取り上げられない。今回調べてみてわかったのだが、過去にトリック・オブ・ザ・イヤーという称号を得たことがあるのに(そういう広告効果があるというのに)、日本の販売サイトでは、なぜかそのことについて触れられていない・・・。
これを機に上手い具合に掘り起こされてくれればと思う。ひいては、個人で活動する翻訳家的な方や洋書を読みこなす愛好家の方々に新たな読書体験を提供できればと思う。
世界最大のマジック専門の掲示板サイト「The Magic Cafe」では、各会員たちの投票によって毎年、主に3つの年間賞が決められる。
1つ目は2003年からほぼ毎年のように開催される「トリック・オブ・ザ・イヤー」(別名:ウーダン・アワード)。2つ目は2005年から続く、その年の1冊を決める「ブック・オブ・ザ・イヤー」(別名:ターベル・アワード)。そして3つ目は2013年に新設されたサーストン・アワードで、こちらはマジック界に貢献したクリエイターに贈られる。
会員それぞれ1人につき、トリックを3つまで選出することができるが、投票権が与えられるのは過去に50回以上投稿を行った会員のみであり、新規会員の参加は不可とされている。
なお、2016年のトリック・オブ・ザ・イヤーの投票は2017年1月末に締め切られ、2月1日に発表される予定となっている。また、受賞者には主催者のジェイミー・D・グラント(Jamie D. Grant)から彼お手製の「Anything is Impossible Bottle」とトロフィーが授与される。
【トリック・オブ・ザ・イヤー受賞作品】 (2003年~2015年) ※2004, 2007, 2009年を除く
2003年:Passing Through by Kevin Parker
コインがガラス瓶の底に押し込まれ、コインが瓶の中に入ってしまう。演者が手に持っているコインは瓶の底から溶けるように入り込み、マジシャンが手を放すとコインは瓶の中に落ちます。コインがいきなり出現するのではなく、溶けるように貫通するのを見ることができるのです。コインが入った瓶は観客に手渡して確認してもらうことができます。
2005年:Sinful by Wayne Houchin
現象:コインにサインをし、未開封の缶の中に貫通させる。その後、缶の中身を全て出すと、缶の中にサインされたコインが入っている。
このトリックは場所を選ばず、スイッチもギミックも使わずに演じることができる。しかも、缶にコインが入ったまま状態でそのまま観客に持ち帰ってもらうこともできる。本商品はグラフィックアーティストのJosh Junkとコラボし、アメコミのような図解付きの解説書となっている。今までにない新たな商品パッケージとトリックの衝撃度は当時大きな話題と呼んだのではないだろうか。
2006年:Fraud by Daniel Garcia (日本未発売)
1ドル札に印字されたマークを動かし、別の個所にミスプリントされたかのように見せることができる。また、その模様を観客にじっくりと見せることも可能。
2008年:Multi-Dimensional by Craig Filicetti (日本未発売)
サイコロの面に描かれた数字や色、シンボル等を直接言い当てることができる。
2010年:Get Sharky by Christoph Borer
有名な片腕のマジシャンにならい、演者も片手でマジックを始める。観客の協力を得つつも、ランダムにカードを選ばせ、そして観客自身にシャッフルしてもらう。その後、マジカルジェスチャーをするとデックの中に選ばれたカードが消えたといい、観客自身にデックの中身を見てもらうと、そこに覚えたカードはなくなっていることがわかる。演者は冒頭で片手しか使わないと言っていたとおり、もう一方の手には覚えたカードがあった。
特製のフェニックスデックを使用し、繰り返し演じることができる。
2011年:Industrial Revelation by Jamie D. Grant (日本未発売)
借りたコインにサインをさせると、デックケースを貫通させる。ここでは特に不思議ではないが、実はケースの中には金属製のブロックが入っていたというマジック。
2012年:Nest Of Wallets by Nick Einhorn
コインや指輪などの小物が消えた後、三重に包んだ革製のケースから出現するウォレット。
2013年:Inferno by Joshua Jay
こちらは日本でも大ヒットしたジョシュア・ジェイの商品で、記憶にも新しい。観客が想像上で選んだ1枚のカードがマッチ箱の中に入っていたという現象。
マジシャンズチョイスをストーリーの中に組み込み、違和感を完全排除した好例。しかも、そのストーリーはマジックによくある突飛な話ではなく、観客とのかけあいでもユーモアがあり、「さすがジョシュア・ジェイ!」と改めて感心させられた一作。
2014年:Fair Play by Steve Haynes
観客からコイン、お札、クレジットカードをそれぞれ1つずつ借りるところから始まる。まず、3つの中から1つを観客のポケットに入れてもらい、次に残る2つから1つを演者に手渡してもらう。そして、残った1つの品物を観客に持ってもらう。ここまでは何回変えてもらっても問題ない。決まったら、そこでキーホルダーの中に入っている予言のメモを取り出すと、それぞれの品物の場所が一致していることがわかる。
スイッチもフォースもなく、キーホルダーは手渡し可能。
2014年: Inferno by Bobby Hasbun (日本未発売)
3作品しか解説されていないにもかかわらず、2014年当時は65ドルとかなり強気な価格設定だった模様。販売サイトは既にリンク切れだが、こちらのサイトでは、約4ドルで購入することができる。元々が電子書籍だったのかは定かではないが、日本でも簡単に入手できるようだ。ちなみに、2014年は2作品が同票のため、トリック・オブ・ザ・イヤーが2作品選出されるという珍しい年でもあった。
2015年:Svenpad Supreme by Brett Barry
名前の通り、スベンガリデックの仕組みをそのままメモパッドに移し替えた製品。2016年11月から「マジックランド」にて独占販売が決まり、大きさは2種類(メモサイズ:76×126㎜、ラージサイズ:138×216mm)、メモサイズには赤と黄色の2色が用意され、ラージサイズは白のみとなっている。商品にはDVDなどの使い方を示した解説書は付属されていない模様。
【サーストン・アワード受賞者一覧】 (2013年~2015年)
サーストン・アワードとは、マジックやメンタリズムの世界に多大な貢献をしたクリエイターに贈られる。
2013年:Andy Nyman and The Code
アンディ・ナイマン(Andy Nyman)はダレン・ブラウンのブレインを務める人物として知られている。受賞理由はその年に発表されたマークドデック「The Code」が評価されたため。海外のマジックメーカー「theory11」と共同で1年がかりで製作に努め、新システムとなっている。なお、本商品は事前にタマリッツスタックにセットアップされている。
2014&2015年:Craig Filicetti
海外のマジックメーカー「ProMystic」の創業者であるクレイグ・フィリセッティ(Craig Filicetti)は2014年と2015年を連続で受賞。彼は修士号を持つエンジニアであり、新製品の開発事業で20年以上のキャリアを持つ。「ProMystic」では、バナチェックなど誰もが知るトップマジシャンと提携し、常に最高クラスの電子ギミックの開発・販売に着手している。
ちなみに、フィリセッティ自身もクレイグ・アンソニー(Craig Anthony)という名で活動するマジシャンでもある。
【ブック・オブ・ザ・イヤーの受賞作品】 (2005年~2015年) ※2011年を除く
2005年:Dear Mr Fantasy by John Bannon (邦訳済み)
数理的原理と簡単な技法を組み合わせてたセミオートマチックな作品が多く収録され、作品それぞれには考案の背景やプレゼンテーションまでも詳細に記載されている。日本では、2011年に邦訳されている。
2006年:Power Plays by Mike Power (未邦訳)
本書では、カードやコイン、お札、輪ゴム、ストローなど58個ものトリックが解説されており、その多くがオリジナルとなっている。
2007年:Session & Five Forty Seven by Joshua Jay (未邦訳)
通常版やデラックス版など3つのタイプで販売された本作。
2008年:Approaching Magic by David Regal (未邦訳)
1000枚の写真とともにカード、コイン、お札、本、ペン、指輪、封筒などクラシックなマジックを扱った500ページ超えの作品集。
2009年:Magic: 1400s to 1950s by Mike Cavenery (未邦訳)
中世のストリートパフォーマーに始まり、映画の特殊効果を発明したジョルジュ・メリエス。さらには19世紀のマジックの黄金時代からフーディーニ、20世紀初期までの1400年代~1950年代のマジックの歴史を辿った1冊。ページ数は500ページを超え、当時のマジック振興を彷彿とさせるポスターが800点以上もオールカラーで網羅されている。
2010年:One Degree by John Guastaferro (邦訳済み)
本書はちょっとの工夫(=one degree)でどれだけマジックが素晴らしいものに生まれ変わるかを考察した作品集。
2012年:Emotional Mentalism by Luca Volpe (未邦訳)
過去5年間にルカ・ボルペがパーティーなどで演じたメンタリズム作品を収録した1冊。
2013年:The Approach by Jamie D. Grant (未邦訳)
フルタイムのプロマジシャン、ジェイミー・D・グラントが書いた職業マジシャンになるためのガイドブック。エッセイや考察、アドバイスを主に取り上げられ、トリックは数種類しか載っていない。本書は100のチャプターリストに分けられ、それぞれが簡潔で読みやすくなっている。
2014年:A Piece of My Mind by Michael Murray (未邦訳)
彼の名前は、日本では「スプリングボード」(Springboard)の考案者としか知られていない様子。本書では、スプリングボードを含むメンタリズムの作品やその手のエッセイ、本書に登場する原理の考察などが収録されており、ポスト「コリンダ」、あるいは新たなメンタリズムの教科書との呼び声も多い。
2015年:The Black Project by Looch (未邦訳)
イギリスのマジシャン、Loochが400部限定で販売した本作。写真のとおり、上下巻セットとなっており、ウォークアラウンドのコツやギャラの交渉方法、実体験から得た教訓など、プロ視点のアドバイスを
収録した実用書となっている。また、作品も多数収録されており、その多くが著者が得意とするメンタリズムに特化した内容である模様。
このほか、それほど大々的ではないものの、メンタリズムのトリック・オブ・ザ・イヤーなるスレッドが不定期で立つことがある。ここから、投稿数の多いスレッドをピックアップし、自分なりに集計してみるのもいいかもしれない。
当サイトが行った調査によれば、2014年のメンタリズム限定のトリック・オブ・ザ・イヤーはその年のブック・オブ・ザ・イヤーである「A Piece of My Mind」を第2位に差しおいて、Atlas Brookingsの「Train Tracking」が選出されていることがわかった。しかし、こちらは当時限定200部で販売され、現在ではほとんど入手困難となっている。
とはいえ、このような手法はある種の指標として、取り入れてみても良いのではないだろうか。(実際に売り出す際にも、「20XX年にトリック・オブ・ザ・イヤーに輝いた~~」などと謳えるしね)
最後に、マジック業界がニッチな業界であるのは言うまでもないが、その他のニッチな業界に比べてると、本業界はあまりに遅れているように思う。業界を盛り立てるイベントも、その多くがパフォーマー重視であり、クリエイター寄りのイベントなんてほとんどない。(「マジックマーケット」もごく最近のことだし、実際のところ、その手のイベントはほぼこれしかない)
そろそろ、日本のマジック業界も本屋大賞的なものをやってはどうだろうか。できれば、ユーザーによる投票形式で・・・